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VOL389: 夏だし、夏ばてかな、
● 夏だし、夏ばてかな、



というわけでこの真夏っぽさを写真に撮りたいなと思いつつ。
まだ撮れてないわけなんだけど、夏はフィリピンという南国に住んでいても
特別の思いいれがある季節だ。
僕はこの季節の日差しが好きでここに何年もいるといっても過言ではない。

今日の昼間なんて1時ごろにGYMに行ったんだけれど、ハイストリートなんて
日曜なのにあまり人がいなくて、パーキングも空いていて日差しが強すぎて
人々があまり外にでていないのがよーく見て取れた。

GYMの周りのレストラン街にも人はまばらで、僕もなぜか今週は睡眠不足
ということもあって体がだるくて、甘いものを欲してた。

それでアイスクリームを食べようとまず外で売っている45ペソの
アイスクリームを買って、椅子に座って食べていた。

ああおいしかった、というわけだが、まだ食べたりないような気がするのだ。

仕方ないからその近くにあったCalifornia bery だったか
フローズンヨーグルトの店でプレインを買って、甘くないけどすっぱくて
とってもおいしいものを食べたら力がでたような気がした。

甘いものを食べた、という罪悪感で、今日は長い距離走ろうと誓って、
柔軟運動を行って、いざマシンに乗ってセットする。

うーんまずは4km、はい、ちょっと早めに設定して、疲れたら早歩きに戻して、
その繰り返しでまあまあで4km終了。

それからあとおまけでもう1kmはい、結構汗が出てきて効いてる感じ。

750mくらいで疲れたからやめ。

計4.75km、まあまあか。

それから脚、腰に重さがかかるやつをやって、脚を鍛える。

次は覚えてないな何やったか。

その次は久しぶりにダンベルのところでダンベル運動をやって腕を鍛えて、
最後は50kgのベンチで3セット。
ここのベンチはバーが10kgくらいあるから40kgのウエイトをつけても
他のところより重いんだよなあ。

でもダンベルとベンチは久々だから軽く流す程度にしとく。
これで大体1時間20分くらいやったことになる。

外にでるともう3時過ぎだ。

日差しがほんとにまぶしいよ今日は。

脚も腕も体中がだるいです。

そんでもってカルティマールマーケットさんに行く。

飼っている子犬さんのために用事をそこで済ます。

おなかがすいたので、日本食堂である紅なんとか食堂で焼肉弁当を食べました。

とってもおいしかったです。ここのマーケットはペットや自転車なんかを安く売って
いるので有名だけど靴のお店もかなり沢山あって安いのです。

靴屋をぶらっと回って、結局何も買いませんでした。
買ったのは子犬を持ち運ぶためのバッグだけでした。

ここにあるNikeとかの靴はクラスAとかで使い心地も本物と変わらなくて
長持ちするからいいんですよ。(といっても自分はいつも本物買うけど)

なんやかんやで家に帰ってくると

もう夜です。

近くの芝生で子犬におしっこをさせようとするとなんかすごい速さで大型犬が
走り回っています。
それとシツがいます。

その黒い大きな犬はアメリカから来た新婚の奥さんが遊ばしていたのでした。

彼女はとてもフレンドリーで、その公園にくる韓国人のシツの持ち主の子供
とかみんな知合いで仲間にいれてもらいました。まさに犬で広がる友達の輪ですね。

暑いので体がちょっと疲れているせいか、この週末はあまり頭が
まわりませんでした。今もボーっとしています。
Workoutのせいでちょうど体がだるいです。

みなさんも夜は暑いからといってクーラーをかけっぱなしで寝込まないように
してくださいね。

暑いので今週は写真なしです。

| Tom in manila | 23:34 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
VOL388: 経営の事とか考えてみる、
VOL388:経営の事とか考えてみる、


● 経営の事とか考えてみる、

今日は人を待っているんだけど、やることがないからSTBKSで経営について考えついたことを
整理してみた。

もう10年くらいになるか、ある韓国人と知り合いになって彼とは今でも親交があり
たまに会ったりする。
その彼がフィリピンで経営する韓国人向けの英語教育事業の様子をを横目で眺めていたり
フィリピン人の知り合いや日本人が自分で会社を立ち上げ奮闘している姿をずっと見てきた。

人がどのように会社を切り盛りし経営をしていくのかについてはいつも興味がある。

できるだけ経営をしている人との交流は大切にしているつもり。

経営をしているという人はここでは100%中小企業のことを言っているのだが、当然売り上げは
大きくないし、皆少ない経費でやりくりしている。

社内の人的、経済的資源(リソース)を効率よく配分し、商売を通じて顧客に対して付加価値、生産性
の高い製品やサービスを提供していくのがマネージメントの使命であり責任だ。
付加価値、生産性を高めるということを常に継続していくということは、昨日よりも今日、今日よりも
明日を良くするのだ。

例えば、既存のビジネスで先月は100万円利益として上げるためにかけているリソースを
来月はいかに低く抑え同じ額を稼ぐか?とか
今月と同じリソースを使って利益を倍の200万円に増やすためにどういう仕事をするか考えるのが
経営者の仕事だ。

現在の経済状況をみれば、日本や世界の大半で苦しい状況に陥っている中小企業は多い。
中小というのはお金が潤沢ではないから新人の従業員を雇ったとして、例えば6ヶ月以上も
その人が給料という投資に対するリターンを会社に戻してくれないと、それは会社の生産性が落ちた
ということになり、給料を払い続けるのは苦しくなったりするそういう程度の会社の話をしている
と理解してほしい。

使えるリソースが少ないから中小企業経営者は自分の好みに合わせて事業を
多角化してもうまくいかないことが多い。

なぜなら企業内のリソースが拡散するからだ。

市場はどんどん変化するわけだから、より付加価値の高いビジネスを探しだしたり、成長の
見込まれる分野へ事業内容を転化していくことは会社にとって必要不可欠だ。

付加価値の高い仕事、顧客を見つけることはマネージメントの至上課題だが、
それが長期間見つからなかったり、事業の概要をより付加価値の高いものに転換させることに失敗し、
採算が取れない事業やそれに従事する従業員を抱えてしまうと、全体の付加価値が低くなり
結果的には会社の生産性を減らすことになる。
そして周り回って株主や社員に配当や給料を十分に上げることができず、経営者自身を疲弊させ、
新規事業立上げのための資源の枯渇につながる。

コアの強いビジネスを強化しながら成長分野に転換をすすめ、付加価値を高めていくために、
社員を雇ったり増資してリソースを補強するというポジティブな変化とどちらかというと社員の給料を
払うために新しい仕事をさがして、自転車操業のように儲かるために新分野を開拓していくのは
似ているようで違う。

なにが違うか、それは経営者がなにを目的に置くかだ。

僕の直感では自分の外側に成長の鍵はない、経営者の考え方の中にしか鍵はない。

付加価値の高いサービスを提供できる会社は、オペレーションの効率化にリソースを集中できるため
さらに効率良くリソースを使うことができるようになる。
効率があがるというのは、リソースの投入に対してのリターン率が高いから、(マーケットの成熟度、
サービスや製品の先進性、希少性、差別化による)利益の上昇を社員の給料や他の部門への配分へ反映しやすい。

社員の給料が上がらないというのは、その会社の生産性が低い証拠で、そこにはリソースの配分に問題が
あるしその責は経営者にある。

実際見ていると(自分でもそうだけど)いつもは付加価値を生産性を上げることを言っている経営者でも、
大きな話舞い込んでビジネスになりそうだと喜んで舞い上がってしまう。
舞い上がるのはいいが、そのまま最後までそのビジネスが会社に付加価値をどのように高めるのかどうか
の見極めや、それが自分の経営リソースにとって好ましいものなのかどうかについて判断をすっ飛ばし
決断してしまう場面を僕は何度も目のあたりにしてきた。

自分の従業員、会社、既存の商売、会社の持つ資源、会社の方向性、会社の経営計画のタイミング、
経営者自身の能力、資源の有限性からくる制約条件を加味した上で、マーケット顧客とその需要予測、
パートナーの持つ資源の有限性、顧客の需要、需要のタイミング、法規制などの外的要素も吟味し
経営の方向性と戦略を今後どのようにしていくか、それを頭に浮かべた上で決定したとしても
現実はうまくいくかどうかわからない世界。

アメブロの藤田社長が今日BLOGで書いていたけど。

日常仕事上経験するのは、一つの要因に対しての解決方法が見つかったとしてもそれでうまくいくとは思うな、
複数の要素にたいしての対策をうまく組み合わせないと実際はうまくいかない。

一つの物事がうまくいくには複数の要因に対する対策をうまくそろえてだしてやってはじめてスタートに
たつのだから一つの条件が合致しただけで喜ぶな、もっと考えろ。
ましてや会社の資源を投入する決断をするためにはあらゆることを考えろ。

僕が見ているパターンで割と多いし自分にも当てはまるので戒めとして言えるのが、
この一連の意志決定の作業の流れの最初から、このサービスを自分が提供する事実に
エキサイトしてしまって、そのビジネスが会社の生産性に与えるインパクトを
考えないまま GOしてしまうケース。

それが中途半端に立ち上がってしまって継続できる商売になってしまうと切るわけにもいかず。
それに会社の資源を使い果たして、実はもっと付加価値を上げることが可能な事業に資源が回らなくなり、
儲かる仕事を探しすことが目的になってしまう。

それが全体の生産性を長期にわたって損なうじり貧状態を続かせるのでないだろうか。

フィリピンに場を移してみれば、要はフィリピンの会社でとても儲かっている会社は、
お金を落としてくれるフィリピンのマーケットに対して適当な価格で必要なものを
提供しているから儲かっている。
それを横目で見ながら、日本人を相手にしたサービスに固執してあまり儲かっていない
フィリピンの日系の会社が殆どである現実からしてそうだ。

日本の携帯が日本のマーケットで売ることにしか頭にないうちに世界のシェアはノキアとサムソンとLGに
とられてしまった例もまったく同じだ。

それはどういう製品をどういうマーケットでどのように売れば付加価値が高いかを貪欲に追い続ける韓国企業と
世界を見渡して会社や製品の付加価値をあげるための考えを怠ってきた日本企業の差だ。

日本の携帯会社の経営者は長期的にみて儲からない日本の市場をさっさと捨て、
会社の技術や経営資源を世界に集中させるべきだった。
それが企業の生産性を上げることにほかならない。

従業員は目の前のにんじんにつられる馬でもいいけど、マネージメントはにんじんを馬の目の前にぶら下げる
騎手でないとだめだ。

ある事業の実現性が非常に低い場合でもそれを続けるかどうかの判断は
経営者が会社の付加価値を上げるという目的を意識しながら、あらゆる手段を使って自分の有利な
ように進めていくようにやるべきだ。

事業の進退とかそういう大きな判断だけでなく日々のマネージメント小さな判断の積み重ねが、
会社組織全体が効率的な資金とリソースの使い方をできるようになっていくために必要だ。

生産性が上がっていかない状況に何年も陥っているのは経営者が付加価値を上げるということを意識していない
証拠、日本の携帯メーカーと一緒だ。

もう一度僕自身に言い聞かせるつもりで言おう。

生産性が高く社員の給料が高い会社とそうでない会社の差は、経営者が付加価値というものを
正しく理解していて、その向上が企業の価値上昇につながり、彼がビジョンを持ち毎日の仕事に落とし込んで
いけているかという意識の差だ。

そのビジョンに到達するために今日はなにをすべきかと考えて判断をしているか?
経営者は未来志向の考えから日常業務をおこなっていくべきだ。
言うは易しだが行うは難しだ。
自分はそうできているか、と聞かれるとそうではない。

思い出すのが、だいぶ前に読んだ元マイクロソフト日本の成毛さんのインタビューだ。
ビルゲイツがまだCEOをやっていた頃、彼が日本法人にやってくると会社の玄関にしいてあるマットの値段と
その費用対効果を質問していたという事だ。

経営者は経営資源の一つ一つを付加価値を上げることのために使われるようにする。

経営者は身銭を削って作ったその会社や従業員に対しその決定の一つ一つに責任を持ち、そのアクションは
全て自分にはね返ってくる。

とっ、ここまで書いてちょっと気になったのは、日本の親会社から日本でやるよりも競争力のある安い
コストでサービスを提供する使命を帯びて設立された日系の外国法人の生産性、付加価値、経営者の方針だ。

その目的は安い労働力を使い、低価格でサービスを本社に提供し、日本本社の生産性を高め、世界での
競合力を高めることだ。

高い付加価値とは安い労賃から来る。

こうした会社はその存在目的からして、付加価値を上げそれを本社に還流させるので
従業員の給料を上げていくことは目的ではない。

給料を上げたら上げたでコスト優位性がなくなるから他のアジア他国仕事を奪われる。

その経営者の責務と指針は上記の中小企業と違っていて、コストを抑える=生産性を上げ、雇用を守る、
ということになる。

そこには新しいサービスを開拓して、より高い付加価値を求めるという売っていく部分は含まれず
企業の生産の部門のみが切り離されて外国にあるというだけだから、その経営は中小企業の普通の仕事と違い、
社内の資源を効率よく使い生産効率を高めるかという現場管理という側面に制限される。

だから上記の中小企業の話とは次元が違う。

よく投資でも同じことが言えるけど、経営でも人生の身の振り方でもまず頭で自分が置かれている状態なり
仕組みを把握しようとする事から入る。

つまり自分をとりまく状況はこうだ、という仮説を持って、(実際は違ったりするけど)

だからこの目的を達成するにはこうするのだという戦略を持つ。

それで実行。

やり方が間違っていたら戦略変更。
体力や資金が続く前に戦略が状況に合致してうまく物事が好転してくれれば良し。
だめならすぐ撤退。

一番まずいのは最初に周りの状況に対しての把握が甘い。

状況把握が間違っていると戦略が全く意味をなさない。

そして現実は最初に思っていたのと全然違う、戦略どころじゃない。
でっ、混乱していろんな問題がでてきて無駄な玉を撃っているうちに力つきて死んじゃう。

このパターンがフィリピンで見る失敗例の99%だ。

なんも考えてないのにお金だけ持っててとにかくうまくいくだろうという感覚だけで
お金をつぎこむ。それですっからかんになって日本へ逃げ帰る。

このパターンは論外だけど、そこそこ事業が続いている人の場合は上記に今回説明してきたことに当てはまる。
儲からないけどなんとかやっているという場合だ。

その場合はいくらか儲かる事業があって、それでそこそこ給料は払えているが、
それ以外の活路を見つけようとしているけど、なかなか試行錯誤が続くというパターンだ。
とても儲かっている会社以外は全部このパターンだろう。

原因はそれぞれ別だけど全てマネージメントの問題だ。

要はその会社全体が最も付加価値を上げるための仕事をしていない。
これは単に儲かる仕事をもってくればいいという単純な意味じゃない。

付加価値のあるビジネスを創造し、提供できる市場を開拓できるということはまずは会社自体がそういう
サービスを提供できるレベルにないと話にならない。

そのためには経営者の毎日の判断が付加価値を上げる目的にそったものであるか、全ての原因は
そこに返っていく。

でもこんなことを書いても、自分で独立するようなタイプの人間は大体人の言うことを聞かない人が多いから、
あまり意味はない。

人を待つ間にこれを書き上げてしまったけど、僕はこんなことをしていていいのかな、とふと心配になるな。

| Tom in manila | 16:22 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
VOL387:  カーナビとか、五穀米とか
VOL387: カーナビとか、五穀米とか


● 中国とアメリカ

というわけで、中国とアメリカの動きが目を離せない。

前々回だったか中国がそろそろ金融引き締めをするだろう、と書いたらその翌日
に引き締めを発表した。大手銀行への預金準備率の引き上げはバブルになっている
不動産、株に有りあふれている投資マネーをそろそろと回収しなければバブルが
クラッシュするという政府のおそれだろうが、国を挙げてのバブルに地方政府も
一緒になって金を貸して、土地に投資している状況は日本のバブルよりひどそうだ。

はじけるよりはないだろう。

さらに注目すべきはオバマの米金融規制改革法案だろう。

要はFRBが大手金融機関を監視するということでこれが本当に法案を通れば、
金融機関がデリバティブができなくなり、投資銀行などが衰退するということ。
つまり米国のゼロ金利政策で金融市場にでてしまった資金が一気に米国に
還流する。つまり上がった株などの金融市場が一気に下がる。

この2つのニュースによって世界中の株式、商品市場がこの一週間下げている。
新興国の加熱した投資資金の流入にストップがかかり始めているし、
ギリシアは中国に国債を買ってくれと言っているくらいなので、当然破綻が近い
のだ。

もちろんそこに中国元の切り上げの圧力が強くなっているが、今年の夏以降には
引き上げを実行すると思う。

そして日本に目を向ければS&Pが日本国債の格下げを示唆した。

このまま国債増発が抑制されなければ吉田繁治さんの計算では2010年、11年、
12年に年に50兆円ずつ国債を増発する必要がある。民間銀行が購入できる額は
毎年20兆円、日銀が30兆円買い取るとすると2012年には日銀の買取り額の限度がくる。

そうなると国債の暴落、長期金利の上昇、そうすると日本国債を持っている金融機関は
債務超過に陥る。それは名目GDPが3%に上昇しても同じ、金利が7.5%に
上がり、国債を扱っている金融機関は皆壊滅的な損をする。

米国でも全く同じ事、名目GDPが上昇すれば長期金利が上昇して、国債価格が
下落する。

結局破綻は免れないようになっている。

要は何が引き金を引き、破綻後にどのような世界が待っているかだろう。

それは有る一部の人たちが描いた世界だろうし、実際ボルカーショックと言われる
貨幣供給の引き締め政策をレーガン時代に見事に実行したボルカー元FRB議長をオバマが
登用して、前述の金融規制法案を作成したことからみても引き締めは時間の問題だ。

これがきっかけになって株価は大暴落に陥るだろう。
その責任をとらされてオバマは失脚。

これからは売りしかないでしょう。


● カーナビ in manila

ということで日本で買ってきたカーナビを装着してしばらくたった。

カーナビは結局地図があるかどうか、ということだけが問題なので、有志が集まって
地図データを作っている会に入会(といってもただ登録するだけだけど)

でっ、日本のオートバックスにいったら1万3千円に値引きされていたGarmin203
という機種を買う。

なんでアマゾンとかにのってるのはこんなに高いんだろう。




日本で買ったので日本の地図は最初から入っているが、東京で使ってみたら
まあ安物だけど動かないわけではない。音声とかテキストは10カ国語くらいを
切り替えられるので、どこにいっても使える。

フィリピンにきて衛星をつかんで、地図をダウンロードしてみる。

うーん、日本のカーナビに比べるとあきらかにアホだけど、一様幹線道路以外
のはいったことのないような小さな路地も見えるから、見てるとおもしろい。

あーここの道を入っていくとあそこにでるのかあ、と実際はごみごみのスラムだったり
するから入らないけど、トーイとしてはおもしろい。

知っている場所にいくのにもつかっているが、やはり知らないところに行く時に使わない
とおもしろくないみたいだ。

本当はただの会員じゃなくて、道を地図に付け加えてデータを提供していく
モニターメンバーになるともっと詳細な地図がもらえるんだけど、そのやり方も
面倒くさそうなので、まあこのままでいいやっと。

NOKIAとかIphoneとかにこの地図は入れられるはずなんだけど、結局ディスプレー
が大きくないと車のナビゲーションには使えないんだよね。


● 五穀米なんて

去年からイオンとかで買える五穀米とかを食べている。

ちょっと多めにいれるとご飯の色が赤飯みたいになって、おいしそう。

入れすぎるとパサパサになりすぎちゃうんだけど、健康によさそうということで、

毎回入れている。

麦とかいろいろな繊維が入っているので、炭水化物の吸収が阻害されて
血糖値をゆっくり上げるという効果がある。

それはGI値として以前紹介したけど、

http://www7.plala.or.jp/pon31/gi.html

大体一日に朝と晩茶碗一杯ずついただくと体重は理想のところまで
落ちていくし、適度なWORKOUTもしているから体脂肪率も21から22
位のところで落ち着いていく。

昔はご飯とか炭水化物を欲する自分がいたけど、今は茶碗一杯も
食べればもういい、となってしまう。

WORKOUTをやった次の日とかは肉が恋しい。

そしてサラダが欲しい日にはサラダだけをPan Cake houseで食べる。

2週間に一回は無性に韓国料理が食べたいし。



● あとがき、

サンゴというハンバーガー屋さんにいって焼き肉丼を食べるんだけど、そこにコミックが
おいてあって、いつもサラリーマン金太郎マネーウオーズ編1,2,3,4巻を読んじゃう。

どこの飯やでもそれがおいてあるとこの10年くらい読んじゃう。

おもしろいのは2,3巻で米金融機関が日本国債の売りを仕掛けるんだけど、今になって読むと
実際にそれが現実に起こりそうで、非常によく考えてかかれてるなあと思う。

実際にそれはあと2,3年いないに起こると思う。

その前にアメリカの国債がつぶれるだろうけど。

その中で本城の親分というやくざの親分がでてくるんだけど、そこで”金太郎、おまえも

屍の上と踏み越えて生きていける人間になったな”っていうとこがあるんだけど。

それは人を押しのけて、殺して生きていくってことだろうけど。

結局生き方って2通りあって、一つは誰とも競争しないでひっそりと生きていくのと、

人と競争しながら生きていくのと。

競争しながら生きていくってことは(直接人を押しのけなくても)資本主義の中を生きていくことだ。

結果として他の人や会社と競争して、自分の利益を伸ばしていく。

それを意識して毎日生きていくのとそういうの意識しないでいくということはずいぶんと

違うことだなあと。

今の自分の仕事をみていると一つ一つが結果的に誰かとの競争であって、競争に勝ったと負けたでは

全く違う。好き嫌いにかかわらず勝ち負けに気を遣わなくてもいいような安定した仕事や収入

の流れが欲しいんだけど。それにはまだまだ時間がかかりそうだ。

この競争ってのは相手が見えるかどうかということは関係なくて、相手は意識しなくていいんだけど

どちらかというと自分との戦いなんだけど、パイが増えていかない状況ではやはり誰かが入って

誰かがはじき出されて、日本国内を見ていると失業者としてはじき出されている人達がたくさんいる。

雇用されている人は雇用を失わないために、自分の意志に関係なく、自分の心や時間を

売らなければならない。そこには人を押しのけて、競争して勝って雇用を守ると言うよりも、

我慢、とか犠牲みたいな言葉が似合う。

僕が人と競争して、と言っているのはその次元とは違う。

自分が作り出す物が他人に価値を認められるか、という次元だ。

仕事というのは全治全能ではないが、自分という人間が全部そこに入ってトータルとして認めらているか、
ということだ。

そういう風に戦って生きている感じはつらい、さびしいことがある。

だって毎日一人で戦っているから。

でもそれが人が社会にいて仕事をする本来の有るべき姿なんだろうな、と時々思えることがある。

そしてそういう時に周りの人の接してくれるささやかな仕草からその人の

人間としてのやさしさ、器というものを感じることがある。

それは自分の感じ方がナイーブになっているだけかもしれないんだけど、

独りだなって感じるときに、そっけなくされても、それはその人の置かれている

状況からそうなっているんだなっていう理解の仕方が最近はできるようになってきた。

つかずはなれずじっとそういう人を観察していると、その人の状況によってやさしくなったり、

そうでなくなったり、感情のムラがあって、ああこの人も自分の属する組織の中で精一杯

踏ん張ってるんだなあ、と。(特にフィリピン人の女性とかに感じる)

でも誠実な人はわかるよ。

でっ、最初の ”屍をこえていける人間になる”ってのに戻るけど、その意味って

単に競争の中をかちぬいている人って意味じゃなくて、独りでいきて、そういう

人とのやりとりの中で他人の良いところと悪いところを知って、人の良いところを

実感することじゃないかって思ったんだよね。

うん、









| Tom in manila | 00:34 | comments(0) | trackbacks(1) | pookmark |
VOL386:  夏の陽、ストロベリーTEを飲みながら、
VOL386: 夏の陽、ストロベリーTEを飲みながら、





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●  はじめに、


最近は晩になると、TEAを飲むことが多い。

昼間は大体STBKSや仕事場で3,4杯コーヒーまたはラテを飲む。

だからというわけじゃないが、夜はTEAの方が体のためにいいような気がするし、たしかに

TVや雑誌などを見ているとコーヒーは日に3杯くらいにとめておいたほうが良いとある。

先週末、山岸さんのところで、strawberry tea をごちそうになって、ちょっとガツーン

とショックを受けたのだ。


Strawberryの甘い香りと、砂糖が入っているかのようなまろやかな甘さにこんなおいしい

TEAもあるんだ、と驚愕した。



TEAといえばイギリスだが、そのもらったTEAは spanish産なので、TEAじゃなくて TEだ。

なんだか10種類くらいフレーバーがあるみたいで、インドの御香のようなにおいは

さすがにきつすぎて飲みにくいが、りんごとかイチゴはとてもおいしい。

おみやげにいろんな種類のTEをもらってきて家で試している。




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イギリスといえば先週の金曜の夜は映画シャーロックホームズを観たが、面白かった。


なにがおもしろいかって主演のRobert Downey Jr. からして、なんかMarvelのコミックを

映画化したような感じで、動きがあって、まるで昔本で読んだシャーロックホームズのイメージとは

ぜんぜん違った。



当然話している内容は当時のイギリス人がしゃべる内容だからその時代的背景の英語の知識がないと

聞きとれても意味が理解できないという難点だが、それはさておきおもしろい。




このRobert Downey JR.という役者実は最近になって目につきだしたのだが、名前自体はもう

だいぶ前から知っている。


数ヶ月前に買ったGQに彼のインタビューがでていて読んでいてなかなかおもしろいと思った。



どこがって、売れない期間が長かったからかもしれないけど、そういう経済的な苦境に

対しての恐れがとっても強いっていうことを素直に告白していて好感がもてた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%80%E3%82%A6%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BBJr


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彼の Wiki を読んでいるとドラッグプロブレムで悩んでいたから、あーそうか、って

感じで今時の単純なActorと違って、僕らの同年代の人って感じだよね、80年代の

Actorの複雑さっていうのを内面に抱えてて。

映画も作っていてほんと僕らの時代の感性が入っている人だ。

リハビリテーションセンターにも入っていたと書いてあるけど、そういうことなんだよね、

アル中でもドラッグでもまずは自分が中毒だっていうことを認めるところから

はじめるわけじゃない。



依存症から脱却するには自分の内面と向き合うことだから。





恐れに対して素直に向き合う人っていうのは、じつは一番クレバーな人じゃないかと

個人的には感じているし、自分もそうありたいと思う。






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自分の仕事でも人間関係でも健康でも人生とかでもどれも同じなんだよね。




自分の状態というのをまっすぐにみつめること。




それが一番大切なのに、それは一番やりたくないことだったりするわけ。



自分の顔を鏡でじっくりみて、ああしわ増えたなとか、おなかたるんでるなとか、

たいていの人は鏡をのぞいていても、見てみぬふりをするんだ。

そんなの毎朝気にしたくないじゃん。





自分の仕事だって、人生設計だって、うまくいってないお金のことや家族関係だって、

はっきりと真正面から問題をみたくないことばかり。





でも、いつか人生のどこかで、そういうことをはっきりと向き合って、つきあってこなかったら

その歪は絶対現れてくるわけ、大体悪い形になって。


自分の見たくないところに付き合うって、それはそれで慣れが必要だけど、それに対して

人間って慣れてしまう強さがあると思うの。




それを強いって言うのか、繊細って言うか、歳を取るっていうか、経験を積むっていうのか

いろいろと意見がわかれるけどね。



でもそれって人が避けて通れない道じゃないかと思うよ。



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そんなわけで、マニラの陽ざしはもう夏のそれだ、陽ざしが頭に突き刺さるわけ。



| Tom in manila | 00:36 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
VOL385: 今年の抱負、ひとそれぞれ、いろんな仕事で
VOL385

● 今年の抱負、ひとそれぞれ、いろんな仕事で



というわけで今晩はハイストリートにできた割と新しい麒麟っていうチャイニーズレストランで、

マニラでそれぞれ異種の業界で仕事をやっている日本人の方々と友達の輪で夕食をとってきました。

林さん関係のIT系の方が多く、フレッシュな20代の方もいて、あまりに日本人と飯を食べる

ことがない僕にとってはひさびさに新鮮でした。

今の大学生の就職状況とか聞けたし、

ちょっと勇気がわいた。


みな結構がけっぷちに立ちながらそう感じさせないというか(僕だけかなあがけっぷちなのは)、

楽天的ぽい感じに力づけられました。

よし、俺もイッチョウ新しいことをやろう、と思いました。



そこで思ったこと、違う業種の方に会ったりして、フィリピンで仕事を始めようとする方に

自分の良く知っている分野のことを伝達することって非常に自分にとっても相手にとっても

有意義なことではないかと。

人は皆それぞれ自分の会社でやってきた専門分野があり、マニラに来てなんでもやらないと

いけないときは自分もとまどうことが一杯あったけど、そんな時気軽に聞ける相手がいればいいんじゃないかと。


それは自分にとっても違った考えを持つ方、とくに経験をつんでその道の分野でやってこられた人から、

他業種のお話、ビジネスモデルについて教えてもらうことは新しい発想を考えるきっかけになる。


今日話をしていて気付いたのは、人というのは自分のやってきた業種で経験してきた

ビジネスプラクティスによって、その人のお金の価値観、仕事のやり方、価値観などについて

大きな影響を受けているのだろうなということ。

具体的に言うと、毎日八百屋さんで野菜を売って現金収入を得ていた人とソフトウエアを

作って給料をもらう人と、不動産を売り買いして自分の会社を築いてきた創業者、公務員の人とでは

随分と違うお金と労働についてや稼ぎ方、経済、金融、仕事についての仕組みへの理解の仕方が

違うのだろうなあということ。

ただ一緒に話をしていると仕事は仕事、お金はお金と呼んで同じ呼び名で同じ意味合いの

ことを話しているように見えても実は人それぞれ随分違う思いをこめて言葉を使っているのだ。


最近考え方が停滞していたのは新しい人たちにあっていなかったからなんだなあと思ってしまった。

自分の属している業界の人とだけ接しているとしゃべっている内容と意識のずれがない。

でも、違う業界の人としゃべっているときには相手が同じことについて同じ意味合いで

使っているかどうか、いちいち確認しながらでないと理解し合えない。

それは社会にでて働いている人と働いた経験がない学生とが仕事の話をするときに、

働いている人が学生さんに対してしゃべっていることが理解できるかどうか確認しながら

意味を説明していかないとコミュニケートが成り立たないこととをみてもあきらかだ。

だから僕らは異業種の人と話をするときには時々相手のいっていることがわからなかったり、

違和感を覚えたりする。


僕にとってはITのことって知らないだけに聞けば聞くほど実は興味深い。物ではなくて

知的付加価値を提供してそれを顧客に課金する方法は物理的な商品の取引の形態以上にいろいろあるし

おもしろそう。

GOOGLEなんてその最たるものだし。可能性は無限大だ。

他には作られたソフトなり、データの価値ってどういう風に値段をつければいいの?とか興味ある。


送信者 manila bay




今年はいろんな人と交わっていこうと思います。

自分のことを考えるよりもほかの人のことを考える時間を増やします。


というわけで、なにかフィリピンに関わっておられる読者の方でなにかどうしたらいいかわからないとか、

フィリピンに来る、住む、または商売をはじめる際の素朴な質問でも、専門的な質問でもありましたら

どんどんメールしてください。

僕が知っている限りの回答をさしてもらいます。

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ご質問、ご相談  メールアドレス  tom_manila@yahoo.co.jp

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| Tom in manila | 01:40 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
VOL384:  価値を生み出せる人、リアルな時代の2010年始動
VOL384: 価値を生み出せる人、リアルな時代の2010年始動



● はじめに、だらだらっとした幸せ、フィリピンと寒い日本、


土曜の晩はのんびりとフォートのGYMに行った。


今週はWork outを2回すでにしたので軽く流す感じで、30分くらいだけ流す。

それだけ。

日本から帰ってきてこの一週間はいろんな面でプレッシャーがかかった時期だった。

生活の面でもいろいろ変化があり、家事を真剣にやってみたりしたり料理をしたり、

なかなか忙しい。

日本では京都、静岡、横浜、東京と滞在してきたのだが、感じたのは車の運転でも、

道をあるくのでも、一見整然として、効率よくやさしいシステムがたくさんあるのだが、

ちょっとでもルールからはずれると、すぐキッとなって注意する。

僕なんてひさしぶりに運転するから、ここで交差点に入って右折するときはどういう

風に右の車線にはいって、どういう動きをすればいいのか、とかいろんな場面で、

日本人風の挙動を忘れてしまっているから、他の人にたまに怒られたりする。

道路上でのルールだけのことじゃないんだ。

電車の中での携帯の使用とかでも、よく言えばルールに厳しすぎる。

悪く言えばちょっとでも違う人は社会全体で許容しないという暗黙のルールが全体を覆っている。

多分それは規制ということだけではなくて、悪い意味で外から入ってきた人に

排他的、(あまりやさしくない)印象を与えるのだろうか。

ここんところとても微妙だ。

たとえば市役所とか行くとブラジル人とか中国人とか韓国人で仕事をしに日本に来ている

外国人のために一つの課があり、日本の市への届出や国民健康保険のやり方なんか

をきめ細かく指導しているところがあると思えば、入管などはあまり外国人への

ビザをだすのにウエルカムではないような雰囲気もあるし。

いったいなんだようというか。

行政全体の取り組みとして外国人を受け入れようということと、市民のレベルで

外国人の隣の人と暮らしていくということはまったく違うことで異質な人を受け入れる

ということはまだまだ一般社会に染み渡っていないのだろう。


マニラに戻ってなにがほっとするかというと、車の運転の仕方なんかだったりして意外かもしれない

のだが、交通ルールがなってないとか悪いとかではなく、基本的には街には

いろんな種類の人がいて、それぞれやっているから、どういう風にサバイバルするのかは個人の

責任ですよねっていう割り切り方があって、それが僕にはさっぱりしていて割とあうんだけど。

なにかを排除するという形ではなくて自分で注意していくしかないという路線、言い方を変えれば

モスリム市民やいろいろな言葉をしゃべるプロビンスからマニラに集まってきた人達

を国として纏め上げていけていないフィリピン政府の特徴がでている。

日本やシンガポールのように市民としてルールというものを厳密に作り上げ、それを厳しく守って

いきましょうというのが自然に行われるのは素晴らしいことだと思うが。

それが行き過ぎているような気がして気持ちが悪い。


そのようなコンセンサスがとれない街並みに紛れ込んだ安心感とでもいえましょうか。

簡単にいっちゃうとたとえばC5というかなり車の速度が速い幹線道路でも思い思いに人が

渡ってしまうような場所では、人は交通ルールがあってもそれが厳密に守られるとは信じられない、

信じて行動すれば自分が危害をこうむる状況なので、ルール(政府)があっても

みな自分の責任と判断で行動している。


日本というと交通ルールからはじまって、学校教育、社会に出たときの行政、福祉、

公共ルールの全ての面においてお上のの引くレール、システムに従うように教育されて

きたわけだから、それを無意識のうちに肯定して、少しでもルールからそれるものを

はじきだすという無条件反射みたいな行動をみると、僕はこわいんだよね。


社会には社会の許容力があり、それは市民個人個人の規範、判断能力の幅のようなものに

よって人と人との織り成す行動の規範の線を引いているのだと思う。

その包容力がなくなって、人間がちっさくなっちゃているような気がするのは、

個人がそういったルールに対して外国と比べて、行政が出すぎたまねをしていないか、ということを

常に考えて政治に介入していくということが基になっていると思う。




そりゃあフィリピンの商取引とか、警察とかお役所とかいい加減でいんちきで、法があきらかに

通じないっていうのも明らかにこまる。

日本とフィリピンを比べて国によって法とその遵守の違い、国民がどれだけ政府の立法、

施行能力に信を置いているかということの違いはあり、法は法で守られるほうがいいんだけど。

そういう問題をいってるんじゃなくてね、具体的には携帯を電車で使ってはいけません、とか

エコバッグの使用とか、細かい市民生活の内容まで自治体や市が細かく決めてとか、

駅のエレベーターで左半分に立って右は歩行者用に空けましょうとか、それを守らないと白い目

で見られるみたいな風潮ってなんだか市民同士で監視しあっているようで気持ち悪い。


道路をJwalkするときは個人の責任で渡るのと同じで、ただでさえせまっくるしい道路で

譲りあいのし過ぎとか、そういうものは個人個人の常識で判断するものであり市民一人

一人の社会性からくるべきものであって、ルールを決められて、それを守らないといけませんって

いうのは小学校の子供レベルの話だ。


行政が市民にルールを押し付けるのは社会的に有意性が明らかに認められる場合だけであって、

乱発のしすぎは日本人の従順な気質からして制限されるべきだと思うのだが、どうだろう。

そういうのが日本人の良い気質というのとは違うと思うんだよね。

ただお上の管理に考えずに従ってるというか、考えてないっていうか。



でっ、一番前の話に戻って、土曜の夜にだらだらとWork outをして、ちょっと27度くらいの

気温でみながだらだっとthe fort あたりの高級なミドルイースタンレストランで、

うまいHummsとか チキンShawarma とかトマトスープをすすっていると、ああなんて快適で

幸せなんだと実感できるよ。


コンドミでも購入して、まともに暮らしできるくらいの収入源があればもうあとは人生この

ままずっと行ってくれって感じで。


それに対比してじつは日本は言われるほど豊かではない、ということが身に染みてわかった。

いやあ日本にいる時は寒いから外でるっていっても地方都市だと

JUSCOとかアピタとかイトーヨーカドーに行くぐらいしかないでしょう。

そこに来ている人はほとんど生活必需品を買いに来ているわけで、着る物とかは

Uniquro で買っている(そこで買っているのは若い、お金の使える人達)。

アルバイトしてる人達って良く考えたら十数万円の収入だからそんなに使えるわけないし。


直近の話では製造業とかが盛り返してきたみたいな感じだけど、2010年はそうじゃないと

思う。

実際は金融危機の根本の問題である金融機関の損は時価会計をやめた時から

隠されたままになっているし、会社をたすけるためにだされた政府からのお金は世界中の

肝心な会社に流れずに、株や先物などの金融証券に金融会社が使ってしまってバブルを

生み出しているだけだ。


中国のバブル、欧州や中東、どこが先にはじけるか。

中国あたりがあぶないんじゃないか、中国は米国債の損を地金購入のゲインで補うということで

アメリカとの合意があるらしいが、金価格も12月のはじめに1オンス1200ドルから1100ドルに

調整したのが1140ドルまで年明け戻ってきて、それにドル高円安も加わってきて

僕が少し購入している円建てのワラント債が戻してきている。

このままドル高円安基調が続くと3月以降日本の国債が危なくなる。

日本のカントリーリスクというのはその借金の大きさで格付け的にはいまやギリシアと

あまりかわらないところに来ている。


日銀の国債買い上げという非常事態になる前に中国政府はインフレ抑制のために、

金融引き締め政策を近じかするだろうが、それで世界中から流れ込んでいる資金が

一気に流出するとバブルがはじけるだろう。


まあいろんなうわさが流れてきているが、案外ドルに対して価格がくずれていないペソ

あたりが円よりも良かったなんてことに3年後くらいになってるかもしれない。

そうするとフォートあたりで1sqm1000から1500ペソ払って、割高すぎるという

ことで貸してもいないコンドミニアムをだまってホールドしている中国系フィリピン人

小金もちたちがこの10年くらいで一番資産を減らさないグループになるようなきがして

最近しょうがない。

今年は個人の生活を如何に安定させるか、というのが課題だ。

大きなことはできないが、まずは安定させるのが先決だなあ。

そのためには酒のんで遊んでる場合じゃない、

人の寝てる時間、自分の信じることにつきすすんでいくしかない。

それがたとえ人のやっていない道でも、

誰も自分の人生の計画を立ててくれるわけでもないし、

歳とって派遣村に入ってしまった人たちを日本政府が面倒みてくれるわけでもない。

外に転がっているチャンスに目を向けて突き進むしかないっしょ。



● 価値を生み出せる人、リアルな時代の2010年始動


昨日は偶然見つけたフィリピンでリタイアしている日本人中年男性の人のブログを読んでいた。

そこで思ったことがあった。

その方はフィリピン人の奥さんを頼ってフィリピンの地方都市に家を買い、奥さんの家族や親戚

などと暮らしながら日常のいろいろな文化や言葉から来るもんだいに悩まされながら暮らしている。

生活の糧なども年金が入るのをあてにしながら暮らしていて、これからどうしようかと将来的に不安なのだ。


同じような形でフィリピンに居を構えつつも、悠々自適、マイペースでやっている方たちの

ブログも沢山あるから人それぞれだろうけど。

結局年を取ってフィリピンに来てなにかビジネスをはじめようかという人が失敗するとか、いうのは

はやいところフィリピンという特殊性ではなく、その人が日本でもビジネスをできる人かどうか、

その人の能力の問題であって場所の問題ではない。

なにも下調べをせずに退職金があるからと誰かのうまい人にのっかってポンとお金を出す人は

それが日本であっても結果は同じだ、いやもっと沢山日本だったらお金を失う。

ビジネスの形態により、場所、人、コスト、組織作成、ビジネスモデル構築、資金などが変わるので、

それは日本の中であっても自分がやりたいビジネスの内容によってその全ての要素を最適化しないと

人様からお金はいただけないのであって、その辺がきちっとしていないと絶対にお金は回ってこない。

ましてや外国だとさらに自分のコミュニケーション能力や資金、法律規正、マーケティングなどの要素

さらに加わってくるから安直にビジネスを立ち上げても大もうけできるレベルにいけれるかという

なかなかそういうわけにはいかない。

現に言葉ができて、フィリピンのことを良く知っている日本人の方でも良くて会社を安定的に20年くらい

継続できているのが関の山で人からのうわさになるほど安定的に儲かっている日本人の有名人という

のはほとんどゼロだ。(もっともそういう人達はフィリピンにはいても他の国に居をかまえているのかもしれないが)






でっ、最初のブログの人に戻って、日本で勤め人でやってきた人がフィリピンにやってきて商売をする

ということになったときに誰もがとまどうことということで筆を進めていきたい。

それは勤め人から個人経営者になったことなんだようと簡単にいうとそうなるが、言葉にすると簡単だが

この意味を最近かみしめるようになった。


結局他人様に物なりサービスを売ってお金をもらうということは、その人にとって得になるものを提供しなければ

ならないということ。物を売るという最前線の現場にいた人はそれがわかるのだろうが、会社という組織に

いると店の売り子さんや営業員でないと(営業であってもわからない)実感としてわかないだろう。

本当に必要とされているものでないとなかなか毎月続けて売れない。

製品を作る製造の人や経理などの人が会社を立ち上げてフィリピンでやる場合に、これだったら売れるだろうと

考えてやって結局売れなかった。ということがあるが、それは元営業の人だって、人が求めているものを

自分で作って提供するというのは試行錯誤だ。

本当に物を必要としている人に必要なものを提供するという魔法の調味料がぴったり組み合わさって、

やっとお金が入ってくるという作業をそのほかの人の問題やら資金繰りやら法律の問題やらをかたづけ

ながらやっていくというのだからフィリピンで商売をやっている方には脱帽する。

そこにはマニラで働く社長の日記さんやOFFshoreさんやHappy cream puffさんやOscarさんAkiraさんのように、

これがいいんじゃないだろうかと自分で考えて、これでいこうときめて、人やお金の手当をして、という

算段を踏んで実行、試行錯誤の繰り返しというある種自分に対するぎりぎりのところでの読みとダメだったときの

読み、プレッシャーなどの戦いなどのタフさが求められる。

なにかで読んだけど、3年間はがんばれるけど、それ以上だめだと人の心はくじける。

必要としている人をさがしたり、必要とされるものをさがすのには時間がかかるから、うまくいかない

ことがあるたびに心はくじける。

そのくじける体験はいつになっても慣れないし、やはりたまには成功体験というものがほしい。


それはただやみにくもいろんなことをトライするのではなくて、試行錯誤の繰り返しの中でもやはり

正しい魔法の調合を配合するのに突き当たるように正しい道筋のつけ方というものがあると思う。


それを決め、商売や社員をその方向に向かわしていけるかどうかが、実は経営者の最も大切な質資であり、

それがなくてただ売上げをあげることしかないカンパニーに5年後はないと思う。

それは結局必要な人に必要な物を提供できているかどうか、という問いにも返ってくる。

フィリピンに来ていきなりサラリーマンから自分の商売を始めよう、あるいは奥さんの実家にすみついて

から何をやろうかという人は、結局そういったことをやろうとずっと準備してきた人ならまだしも、自分はなにが

できるんだろう?という問いから始まることが多い。

自分はなにができるんだろう?は日本で会社を転職しようとするときに転職会社の人から聞かれる質問だ。

そのタイプの質問から誰のために何を提供できるか、というレベルの質問を常に問いかけられるようになるには

心の中で結構なプロセスと経験を踏まなけりゃいけないと思う。

それが好もうがいやだろうが、そういう風に考えれるようにならないと誰もお金は払ってくれない。

魔法の調合だ。


人には向き、不向きがあって、お金の計算が得意な人、物を作るのが好きな人、人に物を売るのが好きな人、

人を管理するのが好きな人とか、いろいろあるけど、必要な人を探し、必要な物を調達し、提供ということが

商売の形、組織としてなっていない商売は成り立たないので、そこがむずかしいところだ。

いろいろと自分が会った会社の経営者の中でもバランスがとれて何でもできる人というのはいなくて、絶対どちらかに

偏っている。物を売る営業が得意なオーナーの入る会社はとりあえず物があればなんでも売って商売を

続けていけるわけだし、一つのものにこだわる人はある特定の分野のものにこだわった製造なり、売り方を

考える。100個会社があれば100通りの会社の形、商売のやり方があるのは興味深い事実だ。


人に対して価値のあるものを提供できる自分になる、というのは単純なようであっておくが深いものだ。


そこを意識して、フィリピンで商売を始めるもよし、リスクを踏まずにリタイアメント用にお金をセーブして暮らしていく

もよし。

お金というものは必要以上に人の幸せ不幸せを左右する魔力を持ったものなので、それに影響されないように

真剣になってその扱い方を学習していく。


残念ながらもはやなにも考えずにサラリーマンを続けていけば老後は安泰のような幻想的な世界は存在しないのだろう。


2010年は僕が想像してきたリアルな答えを日本人に突きつける終わりのはじまりだと僕は心の中で思っている。
















| Tom in manila | 18:32 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
VOL383: 今日もまたオムレツで、 ダライラマの言葉、
VOL383: 今日もまたオムレツで、


今晩もなぜかオムレツだ。

なにかオムレツって体にいいような気がするのだ。

UCC CAFEでメニューをみたらオムライス、というのもあったが、オムレツはないの?と聞くと
Morning メニューというのを持ってきてくれて、そこにあったSpanish オムレツを頼む。








今日は大事なレポートを仕上げるために4時間くらいぶっ続けでレポートを作った。

元になるノートはできているからそれをPower pointに切り貼りするだけだったけど。

こんなに長時間なにかを集中してやったたことはこの半年なかったような。

そのため脳にいくエネルギーが消費されたはずだから夜でもオムレツだ。



その後はちょっとみっちり有酸素運動をやろうという気で、立ちながら足をクロカンスキーみたいに
両側に押し出していくのを120Wを目標に、これだと走るのよりも高いカロリーを消費できる。

30分で300カロリーくらい。その後は軽く10分くらい走る。

その後は腹筋をやって、それからベンチプレスは50kgを3セット、最後の仕上げは
チェスト。

まあまあのWORKOUTだった。





なにをどのタイミングで食べ、どのエクササイズをどの強度で、睡眠は、疲労度は、
全てが関わって体調に出てくる。

どのような状態に体調をおきたいのかを意識し、なにを引き出したいのかを知ることから
体調を主体的につかむこと、それから全てが始まる。

そこさえ意識せずして、自分の人生でなにをしたいのか、と思ってもそれは単なる希望にすぎない。

富士山の頂上に登ろうとしたらどうやって上るか考えることが必要で、ただ単にその辺を歩き回るだけでは
絶対にそこに行き着くことはできない。









● ダライラマの言葉、そして写真、




前回の丸山健二の言葉はシニカルだったけど、今日はちょっと違ったポジティブな言葉を写真ブログである ”タスマニアで生きる人たち” から
ダライラマの講演の中の言葉を引用する。




引用開始


”世界の環境問題についての講演だったが、話の内容はバラエティにとんだものになった。
色々な話の中で僕の心に残った言葉を少し紹介したい。


1、幸せになるためには自分自身に自信を持たなくてはいけない。自分に自信がないと人を疑う。
どんなに富を得ても自分を疑い、人を疑う人生に幸せも、心の平和も訪れないと彼は言っていた。


2、社会の変化、環境の変化、人間の変化、世の中の変化、全ての変化は突然空から降って来るものではない。
一人一人の人間が行動を起こさなければ、いかなる変化も起こらない。一人一人が行動を起こすためには
その人の心の中に変化が起こらなければならない。
心の変化は一人一人が物事を良く考えなければ起こらない。

「考えなさい」と彼は何度も言った。

「ホバートは小さな街だから忙しい大都会の人たちより、考える時間はたくさんあるでしょう」というと会場に笑いが広がり拍手が起こった。

3、「私はいまでも毎日5時間のメディテーション(瞑想)をしている」といっていた。

ダライ・ラマに会えて本当によかった。”

引用終わり





これを読んで僕が思ったのは、自分は自信がなかったのだな、と。

自分に自信がないと人を疑う、と。


当然自信がないとせこくなる。


人を疑う人生に幸せも、心の平安も訪れない、と。


自分に自信を持つ、これ簡単なようでじつは僕にとっては大変なことだ。

自信を持つこと人を疑わないことは、人に優しくするための必要最低条件なんだ。

いつになったら自分に自信ができるんか知らないが、これが性格なのかもしれないが、

でもいつかは克服すべきことなのだ。



関係ないけど、僕は20個くらいの写真ブログを読んでいる。

でっ、それらのブログの文章を毎日読んで感じたこと、写真ブログをやっている人の

言葉って謙虚でいつも被写体から学ぼうとする姿勢がある。

何気ない日常の中にあるシーンを切り取ると言うことは、そういう何気ないシーンに

なにかを感じ取るという姿勢の持ち方だから。

そして何を撮るかにはその人がくっきりと映し出される。





| Tom in manila | 00:31 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
VOL382: 炭水化物を取らない生活をしていたら、丸山健二の言葉、
VOL 382: 炭水化物をとらない生活をしていたら、丸山健二の言葉、


血糖値とかにきをつかって、炭水化物を取らない生活をしていて、
肉ばっかり毎日食べてたら、

この前の血液検査でUric acid (尿酸)が 8.4だってさ。

その代わり中性脂肪なんかは普通だし、ちょっとLDLがたかいのでトータルコレステロールが232
と正常値の上限みたいな感じだ。

最近は日本の学界でもトータルコレステロールの上限値が210くらいから230くらいに
変えられたのがひろまったようなので、一様健康みたい。

それにしても尿酸を上げない食べ物ってみてたら、肉、魚介類、豆、野菜、おまけにカフェインと
全部いけないって書いてあるサイトもあって、なんじゃこりゃだ。


だからちょっと気をつかって今日の晩御飯はこんなもんだったよ。





でちょっと野菜を、





で最後は物足りないので、ちょっと




これでも最近はベンチプレス50kgあげれるようになったからちょっとは体健康なんじゃないかなあ、

情報がいろいろありすぎてなにをたべればいいのかちょっと考えをまとめ中。


● 丸山健二の言葉


大学生の頃丸山健二の本は良く読んでいたが、孤高の作家で長野かどっかの山の中で一人で
庭をつくっている写真かなにかを見たのを覚えている。

毎日読んでいる”いつも心に青雲を”っていうブログで田舎暮らしのことがとりあげられていて、
そこに ”田舎暮らしに殺されない法”(丸山健二)の引用で面白いのがあったので、僕も引用します。

なぜかというとそこには男の一生が詰まって書かれていると思うから。









これって会社勤めの人が脱サラしたときや、フィリピンに来て新しいことをしようとしている
人にあてはまると思うから。

厳しい言葉だ。






以下引用。
   
 (定年を迎えた団塊世代のあなたはこれまで)親に依存し、学歴に依存し、職場に依存し、社会に依存し、勝手に依存し、家庭に依存し、酒に依存し、経済的繁栄の時代に、依存しながら、くぐり抜けてきた数十年の間に自立の事実の機会をことごとく失い、単に自分に課せられた勉強や仕事を通してのみ知りえる現実の厳しさだけを認識しているばかりで、本当のあなたは、自身からも、世間からも、逃げて逃げて逃げまくってきたのではないでしょうか。
     *      *      *
 職場におけるあなたは、頑張ってきたわけでも、闘ってきたわけではありません。あなたは、単に忍従と屈辱の日々に自分を慣らすことのみに精力を費やしてきたというだけなのです。つまり、あなたがくぐりぬけてきたのは、逃げて逃げて逃げまくってきた数十年間であって、決してそれ以上ではなくその醜い逃げ癖は、いまだに骨の髄まで染みついているのです。

 職場における地位や、世間的な評価といったものを誇りや自尊心の土台にし、一人前のおとなの男のふりはしているものの、実際には何のための人生であったのか疑わざるを得ない木偶の坊であり、自分の始末さえもつけられないガキなのです。
 そんなあなたのことを一番よくわかっているのは、たぶんあなたの連れ合いでしょう。
     *      *      *
 もしもあなたが田舎への移住の目的のなかに、人と人との温かい触れ合いや優しい交流なるものを、漠然と、あるいははっきりと加えているのだとしたら、それはすぐさま削除すべきです。
 そして、そんな情緒的に過ぎることを求めたがる、そんな甘ったれた愛に飢えているあなた自身について、自分がどんな男になってしまっているかについて、つくづく考えてみてください。
     *      *      *
 定年による職場からの離脱によって初めておのれのすべてでもあるかのごとき肩書や学歴や職歴といった尺度が世間にはほとんど通用しないことを悟り、それでも辛うじて残っている過剰な自尊心をひけらかしながら同じ待遇による次の職場を捜しても相手にしてくれる雇用主はひとりもおらず、現役を維持している友人たちが友人に思えなくなり、そんなこんなを世間の冷たさのひと言で片づけ、さかんにため息を洩らしながら、都会における非情な暮らしから脱出さえすれば傷ついた心がたちまち癒されるのではないかという身勝手な幻想を抱き、牧歌的な美しい風景を胸に抱き、素朴な人々との人間らしい接触を夢見ているうちはかまわないのですが、あなたはそれを突然実行に移そうとしています。ろくに確かめもしないで。

 そんなおめでたいあなた方の心理を巧みに突き、煽って商売に結びつけようとする、狡猾な手合いがごまんといます。かれらにしてみれば、幻想の世代は実に落としやすい恰好のカモに見えてならないのでしょう。
     *      *      *
 ある日、紋切り型の労い(ねぎらい)の言葉と、数日のうちに枯れてしまう花束と、長年にわたってこけにされてきたにしてはあまりにも安すぎる退職金を与えられて、明日から自分の才覚と采配だけで生きてゆかねばならない厳しい状況に追い込まれたのです。

 あなたがうろたえるのも無理はありません。常に世話を焼いてもらって生きてきた子どもの精神のまま、自身を鍛える機会も得られないまま、いきなり老後の世界へ引きずり込まれてしまったのですから、迷子のごとき無様な反応を示すしかないのかもしれません。あとはもう、金と健康と連れ合いの愛情にしか頼れないと思い詰めてしまうのも当然の成り行きでしょう。

 しかし、あなたは強力な助っ人の存在を忘れているのです。
 それは、あなた自身です。
 
 あなたは確かに絵に描いたような強者ではないかもしれません。でも、あなたが思い込んでいるほどの弱者でもないはずです。おのれのすべてを他者に預け、委ねて生きてきた長年の付けをきれいに払いさえすれば、そこから本来在るべき姿の本物のあなたが浮上してくるに違いないのです。
 そうした方向に持ってゆくことこそが、本当の第二の人生なのです。
 (引用終わり)
     






歳をとってしまってから強力な助っ人の存在、自分自身をみつけられるかどうかはわからない。

だったらもっと早いうちからすればいいのに、と思うのは自分だけだろうか。

特にここのところでしょ、ずきっとくるのはね、


以下引用
定年による職場からの離脱によって初めておのれのすべてでもあるかのごとき肩書や学歴や職歴といった尺度が世間にはほとんど通用しないことを悟り、それでも辛うじて残っている過剰な自尊心をひけらかしながら同じ待遇による次の職場を捜しても相手にしてくれる雇用主はひとりもおらず、現役を維持している友人たちが友人に思えなくなり、そんなこんなを世間の冷たさのひと言で片づけ、さかんにため息を洩らしながら、都会における非情な暮らしから脱出さえすれば傷ついた心がたちまち癒されるのではないかという身勝手な幻想を抱き、

引用終わり

でっ、考えたのは肩書や会社や学歴が通用しない世間にでてしまったとき、人はどのようにして心豊かに暮らして
いけるのか、退職金をうまく運用して、病気をせず残された人生の数十年を波風なくすごして逃げ切りたい、と
思うのが大半の人の考えではないのか?

でも世の中には歳をいくらとっていても、他の人のために役に立つものをあたえられるということができれば、
その人は社会から認められる、または自分自身の存在を社会の中で意味のあると感じて生きていられる。
その唯一の手段だろうと思う。

別に歳をとってリタイアしたときだけのことだけじゃない。

たとえば30歳で会社をやめて何にも属さない身分になると突然不安が襲う。

周りの人は自分を空気のように見たり接したりする。

そういうつもりはまったくないのだが、会社を辞めていない人にはやめた人の気持ちが
大きく変わってしまったことが感じられないから残酷な態度を取る。

自分の仕事に関係ない人はもう関係なくなるのは当然だ。

つまりなにかを与えられない人は社会的に0になる。

それはなにかを与えられるようになるまで0は0のままで続く。

それは受動的に会社を与えられているうちは仕事をするということによってなにかを社会に貢献しているので
そういう気にはならない。

それが退職したり自分で会社をやめたりして、肩書がなくなるとある日突然他人が自分を相手にして
くれなくなるということに気がついて、世間は冷たい、とか言う風に考えてしまう。

ほらっ、昔小津安二郎じゃなくて黒澤明の”生きる”って名作があったけど、
あんな感じ、

最後に市役所をやめた老人がみんなのために公園を作るって話。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%8B_(%E6%98%A0%E7%94%BB)









当たり前だが誰でもそういう状況になれば一度は世間は冷たい、とつぶやくのだ。

60歳になっても70歳になっても会社の創業者や社長が楽しそうなのは、それはそれで
会社という組織をつくりあげることによって他人に仕事や給料や楽しみを与えているのだ。

そりゃ、それは普通の人よりつらいことも人一倍あるけど、自分で人生をつくっているから
しょうがない生みの苦しみだって。


貴方がただ会社に職を与えられる側であるならいくら部長でも専務になろうとも会社を辞めれば
ただの老人だ。
すべての社会に貢献するという術が失われ自分ひとりになるから。

Happy cream puffさんと話をしていると僕には彼の言っていること、その一人で世間を相手に
商売をしていく苦しみ、孤独がよくわかるのだ。(いや彼だけではなく周りの独立している
経営者の方と話すと別に何にも言わなくてもわかる。)

厳しいよ、世間を相手にするのって、社長一人を喜ばしてればいいんじゃなくて、
知らない他人が喜んでくれるかどうかだけが結果で判断される。自分の人生や家族の
未来もかかってくる。







それは誰もがいつかは通る道なのだが、恵まれた学校環境や会社環境でそういう目にまだあわずに
経済的に勝ち組のままいく人も沢山いれば、そういううまい境遇にありつけずに苦労している
人もマニラにはたくさんいる。

Happy cream puffさんの偉い点は真正面から他人=社会においしいものを提供する、とか人を雇用する
ということでなにかを与え続けていることを目標においている(他にもマニラで起業している仲間たちは皆一緒だけど)ということだ。

一人よがりでは社会とつながっているとはいえないし、生計も立てていけない。

一人でもいいから喜んでくれる人がいればいい(それは商売とは限らないけど)

そしてそれをすることによって生計をたてていけるならこんなに素晴らしいことは
ないんじゃないか。

実は会社に属さずやっている人はみんな同じ気持ちだというのが僕にはよーくわかっている。

会社というものにおんぶに抱っこでそれがある日突然なくなってしまって自分の存在価値さえも
消滅するようなことが起きるないために皆自分で自立して生きていこうよってやっている。

田舎にいったって何かが変わるわけじゃないよ、自立してるかどうか、社会に受動的ではなく、
能動的に主体的に関わって生きているかだけが問題だよって。
丸山健二は多分そういうことをいいたいんだと思う。


ただこの文章は自分が思っていてはっきりわからなかったことをあまりにもずばりといってくれたので、
ちょっと感動してしまったのだ。







| Tom in manila | 01:44 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
VOL381: もし できることなら、
VOL381: もし できることなら、

フィリピン人の知人が癌でなくなった。

人一倍に一生懸命人生を駆け巡った人だった。

2年以上にも及ぶ激しい治療と手術の日々だったが、もうなかなか逝きそうもない、と
関心が薄れたころに逝ってしまった。

人がこの世からいなくなるとは、もうどこを探してもその人には会えないのだという
不思議な感覚を得ること。

最後のお別れはまだしていないが、

自分の身内にそういうことが起こったらどんな気分になるんだろうか。

明日死んでしまうと考えて今日を生きようと言うが、

多分それはできないような気がする。

僕らにはしみったれて、しがみつくものが多すぎる。




| Tom in manila | 02:35 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
VOL380: ひさしぶりに 金とか、そしてRobert patterson のアブ
VOL 380:


● 久しぶりに金とか

というわけで金価格は連日最高値を更新している。

一年くらい前にBLOGで取り上げたときは1オンス800ドルとかだったが、今日は1160ドルだ。

http://netnavigate.net/kikinzoku/


繰り返し書くけど、これは金が上がっているというよりもドルの価値が単純に下がっている
意味になる。

ドルペッグしている中国元や香港ドルにしても同じように金に対して価値が下がっているし、
全ての通貨の価値が下がっている。


そしてニューヨークダウは上がり、日本株は下がる。



(ここからは興味がない人はとばして、最後の行までスクロールダウンしてください。)

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アメリカは国債を売却するため金利を0.15%(3ヶ月物、日本国債は0.35%)に保ち、
米国の大手銀行は安い金利でドルを借り、
米国以外の国の国債を買ったり、株式に投資したりして高いリターンを得るドルキャリートレードの
おかげで株高は演出されている。


原油や先物などにお金が入り、世界中の国では経済悪化を防ぐために国債を発行して
いるために、世界中の債権市場が長期金利の懸念を抱いている。


何かの理由で長期金利が上昇し始めると全てのものが一気に逆流し、ひどいことが
起こる。

僕が参考にしている吉田繁治さんの考察では、米国の株高は人手をカットして少し黒字に
なったことをとらえて景気回復の兆しだ、という意味づけをしている。
ただ大手欧米系銀行の自己売買が過剰に増えて米国の株高を支えているのは間違いはないとのこと。


2006年に日本銀行がゼロ金利を停止したのはたった0.25%公定歩合を上げたのに
過ぎないことだけど、レバレッジをかけているヘッジファンドにとっては0.25x20倍=
5%利上げしたことと同じ意味合いだからすぐ資金を引き揚げてお金を返さなければいけない。



これが米国の住宅ローンにも投資していたヘッジファンドの崩壊につながっていることから
見ても、いづれは同じ事が起こるのは明白だ。


というか大手銀行は確信反的にそれらの操作をやっていて、いつかはタイミングを見計らって、
市場をクラッシュさせるものだと思う。これらのことが昨年と同じ規模で起こるのかどうか、
序序におこるのかはわからないが、2008年のくラッシュと決定的に違うのはドルの覇権の
終了と国債のクラッシュが同時に起こりそうだということ。


ドルキャリートレードで集められた資金は資源国BRICSへと向かい、それらの通貨を
押し上げている。資源国は自国通貨がドルに対して上昇すると輸出を抑えられるので、
通貨介入を必死でしてドルを買おうとする。具体的にはドル国債や社債、株式を買うことになる。
これが米国の株式が上がり続ける理由。



米国債が常に海外の投資家や国に対して売られる宿命にあるのとは対象に日本国債は
その大半が日本国内で消化されるしかない。
なぜなら利回りが低いから(同じ10年物国債でも米国3.4%、日本1.4%)。

米国は09年1−3月期GDPが実質−3.5%だったのを7−9月期+3.5%に
押し上げたのは政府支出の$8000億のSTIMULUS PACKAGEによるものだが、
米国は162億円の国債を発行して、GDPを押し上げ金融危機を下支えをできている
海外から国債の買い手を引っ張って来れたからで、これを日本がやろうとすると
全て国内の投資家から買いが行わなければならない。

すでに日本は来年度の予算の90兆円にたいし、税収の落ち込みで40兆円しかない税収を補うために
50兆円の国債発行を予定しているが、それに対しあと50兆円国債発行を上増ししようとすると
国債発売の引き受け難が起こり、既債発行国債価格の低下につながる。

すると日本国債をたんまり持っている国内大手行の含み損が巨大になり、90年代の不良債権問題が
また起こる。


霞ヶ関の埋蔵金と言う言葉があるが、それは国債の形で蓄えられているから結局それを使おうとすると
国債を売ることになるので、国債価格を押し下げることになるので使えない手だ。


GDP押し上げ策が奏して経済活動が活発化してくるといずれは経済刺激策を止めなければならない。
そうしなければ金余りとなってバブルの再来だ。


すると公定歩合を上げるしかないわけで、すると前述したとおり低い金利で発行された国債価格
の高止まりが一気に崩れる。



現状はといえば数日前に日銀がデフレ宣言をしましたが、デフレを食い止めるためにお金を刷って
国債を売って政府が市場にお金を入れている。


結果としてそれが資金バブルを生み出しGDPが回復し、
いずれはインフレを生み出す。
それを防ぐために超低金利を解除したとたんに国債の崩壊が始まる。


そのパターンで日本の失われた10年は起こったが、それよりもっとひどい状況になりそうだ。
なぜならそれは日本の問題ではなくアメリカの問題なので世界経済を巻き込むことになる。


それならばドルはただ単に下落していくだけなのだろうか?
結果から言うと円も下落すると思う。


日本国債を買っているのは国内の投資家だけだ。

来年鳩山政権が50兆円の国債増発を決めた際には結局日銀が引き受けるしか手はない。
大手金融機関が購入する場合でも結局国債の価格が低下をさけるために、日銀が買うわけだ。


日銀は77兆円の日本国債を保有し、75兆円の紙幣を発行している。
つまり日銀の発行する紙幣は日本国国債の保有によってその紙幣の信用を保っている。

つまり後50兆円余分に国債を購入する場合は日銀は50兆円分の紙幣を印刷することになる。
日銀は国債を引き受けるしかないので、円を増発し続け同時に金利を低く保つしか手は
ない。

ここで例の欧米系銀行家達が円で資金を借りて、売りの利益を得るために円を売り
浴びせればどうなるか。

タイやマレーシアやロシアで起こった通貨危機のできあがりになる。

簡単に言っちゃうと米国の場合は、自国の経済を助けるために、国債を発行してお金を借りている。
他の国が買ってくれるうちはいいが、それは相対的にその国の借金と通貨を
他の国が買い支えてくれることになるので、その国の信用があるうちはいいけど、
信用がなくなるとその国の通貨も国債も暴落する。

日本の場合は国債を発行してお金を借りるのは米国と同じだが、金利が安いので
国内でしたそれを買ってくれる人がいない。国債の価格の低下を防ぐには日銀が
低金利に押さえるしかないし、最後の引受人は日銀しかいないので、たくさん
国債を発行し続けなければいけない場合は国債を買った分だけ自動的に紙幣の
発行を余儀なくされるわけで、円の対外的な価値は弱まるしか道はなく、
自身の自己崩壊を引き起こすことになる。

日本の場合問題は政府の国債発行を押さえることが肝要で、政府支出を上回る税収が
あがり国債発行額が抑えられれば危機は去る。

そのために鳩山さんは仕切りなんとか、(仕分けだっけ?)をやっているのだが、
日本のGDPを支える世界の景気が良くならない限りこの
財政赤字は続くから問題は外にあると言える。


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で長々書いてきたけど何がいいたいのか。


まだまだ金はあがりそうだようということ。


● Robert pattersonのアブ

というわけで今晩は ELLEN 

http://ellen.warnerbros.com/twitter/

を観ていたら、またNew moon のエドワードこと
Robert pattersonがでてきた。



彼はモデルなので GQ とか雑誌によくでてくるが、Harry Potterにも前にでて
いたのは知らなかった。

っで思ったこと、やっぱりかっこいい。

でっ、これ



そうか、やっぱりこういうアブ(腹筋をもってないとダメなんだ。)

自分のボヨンボヨンしているしまりのない腹をみて心の中で密かに思った。

こういうアブになるまでコントロールしてやる。。。


というわけで半年後にこういう風になってなかったら笑ってください。


 


| Tom in manila | 18:44 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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